北欧流教育をギロッポンで学ぶ
不味いなァ花粉相手に手も出せずノックアウトだ
昨日はスウェーデン大使館で行われた、スウェーデン社会研究所主催のスウェーデン研究講座に参加してきた。
六本木の、整備されて綺麗なんだけれども今自分は何処かが分かりにくい道を彷徨い歩き続けること数十分で大使館に到着。
題は「スウェーデンの小学校社会科教科書-日本とは何が違うのか」。18歳選挙権に絡め、北欧ではどのような公民・道徳教育をしているのかを教科書をもとに比較研究するというものだった。メディアや経済(お小遣い)、政治や環境などその範囲は多岐にわたる。
スウェーデン研究講座 | 一般社団法人スウェーデン社会研究所
いやはや随分と主体性を重視した教育を、小学生の時期にやるもので。
権利や抵抗、参加や平等など、自由主義思想が基盤にありながらレッセフェールにも偏らない、権利と自主性、ものを考えることを重んじる教育は日本とは色が違いすぎる。講座内容の受け売りだが、いかに日本が他人事で受動的な教育方針をしているのかを思い知らされた。
個人を尊重して格差やメディアの危険性をありのままに叙述するスウェーデン流と、共同体の同質性を重視して「その人の気持ちになって考えてみましょう」で終わる日本流との差は、大きいものがある。
だからというか何というか文化的に、小学生相手に「間違っていると思ったら抵抗しましょう」「主張するときはデモしましょう」なんて、日本で教えたら大問題になりそうな気がする……いや、規則を守り目上を尊敬することが当然とされるこの国で、教育者というより労働者な教職員が危ない橋を大手を振って渡れないか。
そういえばフィンランドで学校見学をした時も、生徒たちは廊下まで使ってあちこちでグループワークをしていた。あの自由奔放具合をこっちに導入したら学級崩壊扱いになるだろう。
子供をどう教育するのが最善かは非常に判断に困るところであるものの、一時的とはいえ選挙啓発活動に携わった身としては実際に投票率の高いスウェーデン流が一部でもいいから導入されないかな。教科書検定制度廃止から始めないとならなくなるが。
どこまで子供を「小さな大人」扱いできるのか……教えるって難しい。
ほら他人事だ。
ちなみに一番のビックリドッキリはスウェーデンの文科省が「アメリカのいくつかの州を除いてすべての民主制国家が死刑を廃止した」という教科書の文章を認めているあたり、日本は民主制国家と思われていないんかいという点。
以前から考えていたとはいえそろそろ真面目に新しい創作サークルを作ろうと思ったが、企画会議というのは素面でやるべきなのだということがよく分かった。すなわち何も話が進まずに(話自体せずに)終了。
おお、社会の歯車の靴音がコツ、コツと
滅ぶがよい業務説明会め