茶菓子の欠片

文芸とか北欧とかTF、雑記とか何かそういう

個人の印象

 

 

 天下の行政府様がもはや災害と認定する猛暑であるならば、

 日々の通勤における炎天下の中の歩行とは労災認定されて然るべきではないかと、

 思いながらもアイスに手を出し太る……

  

 

  光と映像を使ったミュージアムと言われれば心が千鳥足で踊るので行くしかないのだ。それと同時にゆりかもめも楽しめるとすれば更に。

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 チームラボボーダーレスという企画があったのでマァ会話のネタの一つにでもなろうかと思い行ってみたが、これがとても楽しくて、歳も忘れハッスルしてしまった。他の人を置いて走り回るほどには楽しんでいた気がする。スーツ姿のオッサンが子供たちを押しのけて狂喜乱舞する様は地獄絵図他ならないが。

 問題は、目が疲れることか。

 いや身体も疲れる。筋肉痛はあとから来ました。

 

 

 光の使い方が全く違うが、先日「モネ それからの100年」展へ行ってきた。

 

monet2018yokohama.jp

 モネ展と銘打っているものの、モネの後世に与えた影響を中心に据えていることから、モネ目当てで足を運ぶと少し物足りないかもしれない。

 

 モネの影響を受けたモダンアートを見比べることができるという点では貴重な展覧会だと思う。とはいえ贅沢ながらモネの名を冠する展覧会故に『睡蓮』のほかにも『印象・日の出』とかあってほしかった。

 なんて曖昧な文末、これこそ印象そのものを描写する印象派というもの(?)。


 前情報なしにモネだからという理由でUQを召喚し足を運んだ愚者の為、館を回ると「あれ、モネの作品もーねーの?」と産業廃棄物の駄洒落が脳内に浮かび上がってくるほど現実に引き戻されてしまった阿呆とはこの私。

 

 「出口」の看板が視界に入るや否や逆走し、最終的にお気に入りである『セーヌ河の日没、冬』(1880)の前に長らく突っ立っていた。

 眼鏡をかけたまま近づくと筆致がよく分かるし、眼鏡をはずして遠目で見ると光の揺らぎがより一層鮮明に鑑賞できるという二重に美味しい思いができる。オメメの劣化で一番の恩恵だ。

 

 できれば『セーヌ河の日没、冬』のような光景を見ながら寿命を終えたいが、フォースと一体化する術はないため屍の後片付けを鑑みると断念せざるを得まい……

 ※    ※

 

 アメリカではコミコンが開かれたようで。

 いつか行ってみたい。

 

 トランスフォーマー関係では「バンブルビー」のトラヴィス・ナイト監督が講演。そこでなんとスタースクリームに違いなかったあのディセップはまさかのブリッツウィングということで……

 

 

 え? ぶ……ブリッツウィング?

 ということはトリプルチェンジャーとして戦車にも変形してくれるのか?

 カラーリングはスタスクそのものじゃないですかーやだー。

 

 嬉しいやら残念やらでございます。

 

 いやしかし何よりも憤りを抑えきれないのはそう、アメリカ本国ではクリスマスシーズンに公開の「バンブルビー」が日本では春公開にされてしまったことだ。

 ええっ。そんなまさか殺生な。

 年明けまで待てというのですか、しかも「春」と言われると年明けから間が空きそうだし……それはあまりにも、あまりにも。

 


 ※    ※ 


 秋の文学フリマに性懲りもなく参戦を決意、申込みを完了してしまった。

 そうなると〆切という己が生み出した魔物と戦う必要が出てくる。

 が、如何せんなんにも浮かび上がってこないし、書いても小説というよりは報告書になる。以前はアイディアさえ出てくれば小説にするのはそこまで苦ではなかったはずだが、脳が全く働かん。他のメンバーは書きあがってる者もいるし、いやはや嫌な汗が流れてくる。

 

 これも労働が悪いんだ(???)

 なんちゃらフライデーを設定するくらいなら、UQ二倍キャンペーンをしてくれたほうがよほどプレミアムだというのに。巷で話題になっている大事な大事な生産性も上がるというのに全く……

 ああ、あの議員大先生様の言う“生産性”とは意味が違うのか? 国に寄与してくれるかどうかで権利の有無と公共サービスの受益可否が決まるなら他人の糾弾の為に“生産性”の言葉が氾濫するのは目に見えているぞ。自分は生産性があると安堵できるその姿勢は凄いが。

 

 しかし勤労を言い訳にして雑文を並べ立てても、想像力の枯渇は、老衰を痛いほど理解させてくれるなァ。

 ハーミットになるまであと何十年かかることやら。