春あらら
もういくつ寝るとどころかいつまでも寝ていたら、いつの間にか年が明けていた。
それどころか正月が過ぎていた。挙句旧正月さえも。寝正月おそるべし。
とうの昔にあけましたおめでとうございました。
こいつぁ今年も駄目っぽいなァ
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勤労に恐怖し精神と身体が悲鳴を上げる日々。
――北欧成分が足りないなァ。
そう思い立ったが吉日、北欧型公園の「メッツァ」をおかわりしてきた。
また同じところに行って飽きないのかと自問自答したがそんなことはなく、少しだけ食べ物屋さんのメニューが変わり、土産屋も前回と入れ替えがなされていた。
買い物で興奮、食いもので興奮、散策で興奮と常にアドレナリンが生み出され続けた次第。鼻息荒く狂喜乱舞していたオッサンがいたならそれは私。
前回は売り切れで達成することのできなかった「北欧風珈琲」と「ブルーベリータルト」にありつくことができたこの哀れな北欧かぶれは、狂喜乱舞し気味の悪い喜びの雄たけびをあげた。
おやおや救えないこのにわかっぷりよ!
恐らくそこいらの激安インスタントコーヒーを以て「北欧風珈琲です」といえばショッカー戦闘員の如き声をあげて聖水のように有難がって飲むのだろう。その自信はある。
考えてみればメッツァに足を踏み入れただけで笑顔がこぼれ奇声を発し、ここが埼玉であることを忘却の彼方へと追いやる阿呆なのだ。前回も今回も、同行した友人にはそれぞれ引かれたが至極当然の反応だ。気持ち悪いものねぇ。
そうは分かっていても自分なりのQOLをあげるのにこれほどぴたりと合致する幸福もないのだから大目に見てやってほしい。平成が終わる前にまた行きたいなァ。
マシュマロの浮いたチョコレートドリンクはとどめであった_(。゚⊿ 」∠)_
夜のメッツァもめっつぁおかし。
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川崎市市民ミュージアムにて『ソヴィエト映画特集』なるものが開催されているとなれば、ソヴィエト文化かぶれが行かない訳にはいかない。
鑑賞したのはタルコフスキー監督の『ストーカー』
『ストーカー』はSF……というよりは宗教的・神秘的な側面が強いように思える映画で、長回しが多いのが特徴的。小休止なしなので、老体には少し辛いものが……
踏み込んだ軍隊すら全滅した謎の立ち入り禁止区域“ゾーン”。
登場人物はその“ゾーン”の道案内役である「ストーカー」と、作品のインスピレーションが欲しくて”ゾーン”に興味を持った「作家」、そしてとある目的を胸に秘めながら“ゾーン”を目指す「教授」。
この三者が“ゾーン”にあると言われる幸福になる部屋を目指して歩き続けるというのが大まかな話の流れで、その道中芸術の無欲性や幸福の意義、希望の是非など哲学的・神秘的な応答が繰り広げられる。
よりによってブレジネフ時代のソヴィエト体制下にありながら社会正義やイデオロギーといった文言に言及するシーンもあり、ヒヤッとする。当局と喧嘩するわけだ。
さらに鑑賞、『死者からの手紙』。
『ストーカー』で助監督を務めたロプシャンスキー監督作品。
核により地上が死の土地と化した世界にて、地下シェルターで暮らす人々の生きざまを描くポストアポカリプスもの。
荒廃し瓦礫と死体にまみれた地上世界や統制する軍部、横行する闇市場、シェルター内の描写がいやに現実味がある。そして核ミサイル発射のきっかけはミサイル管理職員が飲んでいたコーヒーのせいでむせた、そのわずかなラグのせいという小さな事実と合わせるとより無常が際立っているように思えた。
登場人物は程度の差こそあれ、皆「どうしようもない」という現実に打ちひしがれて、奇行に走る、自死を選ぶ、職務を黙々と遂行する。
それでも最後には次の世代に希望が託されたような終わり方だったので、そこに救いを見出してしまうのはロシア的メシアニズムにあてられたか……
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書けぬ。動けぬ。間に合わぬ。
小説が進まんのですよ(定期)。
一年に100回くらいある恒例行事・スランプ期に入っているので筆がボキボキいきそう。
いんすぴれぇしょんを貰おうとおこがましくも天下の大作家シェイクスピアを読んでも下らない駄洒落のセンスしか得られない始末。元々つまらん親父ギャグのセンスは持っとるし何も得られていないのと同義ではなかろか……
丁稚奉公の方もまた年度が替わって色々と変化や繁忙があるだろうから、しばらくは休憩を取って、またメンタルが死にはじめたら書くとしよう。
メンタルが安定するといいものが書けないってそりゃあ難儀なシステムだなァ。マゾの気でもあるんだろうか?
今年もまた花粉がつらい時期になってきた。
嗚呼花粉よ、頭痛と鼻詰まりと目のかゆみを呼び起こす悪魔の粉よ。
花粉症に苦しむ者へ休暇と時短勤務を与えておくんなましヾ(:3ノシヾ)ノシ