猶予期間の終焉が見える
ノォォォォォ
とうとう解禁されてしまった。とうとう怪物が地の底から醜悪な姿を現す時期がやってきてしまった。
「一切の希望を捨てよ」と書かれた門が自分からこちらにずずいと近づいて、無理にでもくぐらせようと舌なめずりしているようにしか思えない。業務説明会、セミナー、予備校……アア、恐ろしい。
勤労義務をクリアできるかどうかは分かったものではないが、万一社会の歯車と化すことができた時、趣味の文芸活動の方は続けていけるのかどうかが不安でならない。
原稿用紙で書くだけでなく、パソコン、ポメラ、スマホのアプリなど小説執筆自体は随分とお手軽になっているし、発表する場所も文学フリマ、テキレボ、本の杜といった同人誌即売会から小説家になろう、最近話題になっているカクヨム等ウェブ上の小説投稿サイトまで種々様々。おまけに文芸誌発行の方も格安で文芸誌を発行できる印刷所が増えているし(特にちょ古っ都製本工房)、いざとなれば電子書籍という手も使える。
ここの最初の方の記事でも似たようなこと独りごちていた気がする。とくにかくポメラとちょ古っ都は偉大だ。あと仕事のできる編集さん。
そう考えると文芸創作というのは執筆、製作、販売までが絵画展や映画上映会を開くよりもかなり容易な趣味になるのかもしれない。少なくとも、職種や業務によらず社会人になっても(なれるのか?)ある程度は続けられるのではないかと今から甘い見通しを立てられるほどには……
問題は小説執筆前の構想に難ありという大前提に大問題ありという点か。
やりたいことを色々できる時期に対した小説が書けなかったことを考えると、そして今最近ほとんど執筆できていないことを考えるとお先真っ暗。
星新一氏か江戸川乱乱歩氏の脳が切に欲しい。
いやその前に職が欲しい。
話変わって先日、茨城に行った。
いや強引に連れ去られたと言った方が適切かもしれない。紐をつけて臨死体験の為に飛ぶという自殺行為そのものな恐怖アトラクションに参加するという至極意図の分からぬ陰謀に巻き込まれ、飛翔した。コワカッタ(:3 _ )=
その帰りに立ち寄った日帰り温泉で、何とも心地の良い、少しだけお湯の張られた場所に寝転ぶという露天風呂の一種を経験したのだが、温泉のHPで調べてみるとそれは「寝ころび湯」というそのまんまな風呂の様だ。
いいなァこの寝ころび湯。
岩という名の超高反発枕と程よい温度の湯に身をゆだねる。素晴らしい。自宅に欲しい。ここなら小説の構想だろうと哲学だろうとなんでも考えられそうだ。そんな風呂だった。
新世代のアゴラはこれでいいんじゃないかな。
いよいよ慰安旅行大好きおじさんと化しそうだ。
モラトリアム云々より急速な老化を心配すべきか……
北欧流教育をギロッポンで学ぶ
不味いなァ花粉相手に手も出せずノックアウトだ
昨日はスウェーデン大使館で行われた、スウェーデン社会研究所主催のスウェーデン研究講座に参加してきた。
六本木の、整備されて綺麗なんだけれども今自分は何処かが分かりにくい道を彷徨い歩き続けること数十分で大使館に到着。
題は「スウェーデンの小学校社会科教科書-日本とは何が違うのか」。18歳選挙権に絡め、北欧ではどのような公民・道徳教育をしているのかを教科書をもとに比較研究するというものだった。メディアや経済(お小遣い)、政治や環境などその範囲は多岐にわたる。
スウェーデン研究講座 | 一般社団法人スウェーデン社会研究所
いやはや随分と主体性を重視した教育を、小学生の時期にやるもので。
権利や抵抗、参加や平等など、自由主義思想が基盤にありながらレッセフェールにも偏らない、権利と自主性、ものを考えることを重んじる教育は日本とは色が違いすぎる。講座内容の受け売りだが、いかに日本が他人事で受動的な教育方針をしているのかを思い知らされた。
個人を尊重して格差やメディアの危険性をありのままに叙述するスウェーデン流と、共同体の同質性を重視して「その人の気持ちになって考えてみましょう」で終わる日本流との差は、大きいものがある。
だからというか何というか文化的に、小学生相手に「間違っていると思ったら抵抗しましょう」「主張するときはデモしましょう」なんて、日本で教えたら大問題になりそうな気がする……いや、規則を守り目上を尊敬することが当然とされるこの国で、教育者というより労働者な教職員が危ない橋を大手を振って渡れないか。
そういえばフィンランドで学校見学をした時も、生徒たちは廊下まで使ってあちこちでグループワークをしていた。あの自由奔放具合をこっちに導入したら学級崩壊扱いになるだろう。
子供をどう教育するのが最善かは非常に判断に困るところであるものの、一時的とはいえ選挙啓発活動に携わった身としては実際に投票率の高いスウェーデン流が一部でもいいから導入されないかな。教科書検定制度廃止から始めないとならなくなるが。
どこまで子供を「小さな大人」扱いできるのか……教えるって難しい。
ほら他人事だ。
ちなみに一番のビックリドッキリはスウェーデンの文科省が「アメリカのいくつかの州を除いてすべての民主制国家が死刑を廃止した」という教科書の文章を認めているあたり、日本は民主制国家と思われていないんかいという点。
以前から考えていたとはいえそろそろ真面目に新しい創作サークルを作ろうと思ったが、企画会議というのは素面でやるべきなのだということがよく分かった。すなわち何も話が進まずに(話自体せずに)終了。
おお、社会の歯車の靴音がコツ、コツと
滅ぶがよい業務説明会め
北の道からの織物
渋谷というのは恐ろしい街じゃ。魑魅魍魎妖族魔族が跳躍跋扈するこの世の魔境。
要するにキラキラしていた街だった。
それでも味の変わらぬはなまるうどんの美味しさよ永久に。
買い物ついでに渋谷のBunkamuraでやってたノルウェーの絵織物展に足を運んでみた。実際はこちらの方が主目的に近かったが……
カラフルな絵織物から白黒の絵織物、幾何学的な紋様の絵織物から写実的な絵織物まで、種々様々多彩な絵織物が展示されていた。
展示会場入り口で配布されていた、在日ノルウェー商工会議所が発行している“StyleNORWAY”という情報誌の創刊号によれば、今回の展示で日本人が製作した絵織物のルーツは、以下のようなものであるという。
NORSK BILLEDVEY(北欧絵織物)とは、ヴァイキング時代からあるノルウェーの伝統工芸の一つで……(略)……多種多様な絵織物が作られてきた。
もともとはノルウェーの厳しい寒さに耐えるために生まれたフォークアート(農民文化)であり、図柄は宗教画をベースにしたものや風景画が多い。
実際、北欧神話や風景を模した絵織物が数多く展示されていた。無論完成品を観れば「わあすごい」となるだろうが、果たしてここまで織り込むまでのモチベーションが持つだろうか?
恐らく今回の展示主催者であろう方々(北欧絵織物研究所の方だろうか?)はご高齢の方が多かった。年齢を重ねても趣味(?)のある人々は元気なんだな、と改めて感じさせられる。
果たして自分の十八番文芸創作を何十年後も続けていられるだろうか……その前に締め切りに追われる恐怖、出来栄えのゴミさに対する絶望で挫折するのが目に見えているが。
しかしこのStyleNORWAYという2014年に発行された情報誌でも育休の話が出ていて本当にもう……(:3ぅ )
ほぅらやってきたぞ花粉め。
目はかゆく、鼻はつまり、頭は痛い。おおなんということか。
そこまで私を困らせたいか、ええい下がりおろう。下がってくれ。
春よ来い花粉は来るな
暖かくなってきたかと思いきやまーたすぐ寒くなるんだもの。
風邪も流行っていることだし、課題という目下の敵を粉砕した以上は、布団サンとの共同戦線を張るしか道は無し_(:3」[_]
しかし迫るは卒論・就職の二代巨悪、打倒するには力無ければ金も無し、花粉襲来も相まって万事休すのっぴきならない状況で瀕死。
アァァァお助け
いつの間にか育休問題が不倫問題になっていてオヤマア目ん玉飛び出そうったらありゃしない。国会議員ですら育休が許されない雰囲気だったら誰も育休なんか取れないでしょうよと思っていたが、これにて育休は「オッ。不倫でもするのか」と煽られる道具になり下がってしまいそうで恐ろしや。
いや、恐ろしいのは最近絶好調のセンテンススプリングさんか?
件の残念議員もさることながら、冗談でも「うらやましいんじゃないか」と言えちゃう参院会長もいるというのが更に気がかりではあるのだけれども。困るなぁ無自覚なセクハラ親父はと思っていられない年齢である自分に対しても気がかりである。
以前フィンランドの大学でお世話になった女性の先生方に鎌倉を案内した際、帰国したらどうするのかと尋ねたら組合幹部として賃上げ闘争をすると平然と仰っていたので凄いなあちらの国はと思った覚えがある。育休を男女問わず取ること、共働きが多いことなどを伺って大層驚いた。
この国があそこまで女性が(男性と同じようにではなく)同じ人間として活躍できる社会になるのは遠そうな気がする。
ああでも件の不倫議員、フィンランド大使館に表敬に行ってた気がする……これは議員辞めたら本物の土下座外交をフィンランドにするしかないなァ……
そういえば、結局時間が無くてトーキョーノーザンライツフェスに足を運べなかった……
ノルウェーの絵織物展も同時開催しているはずなので
是非ともこっちは行きたいところ。
バレンタイン? 知らない話だ
年明けてはや一か月
如月突入。
ああ結局、英語試験は大変な惨状を呈してしまった。
人類の進歩は懐疑の精神で成り立っているのだから、「何を言っているんだ?」という疑問が生まれたらすぐにリスニングを止めてほしい。いやせめて二回放送してくれ、後生だ。
久しく会っていなかった友人にでくわした。
挨拶もそこそこに早速この前発行した文芸誌の感想を尋ねてみると、忌憚の無いご意見ご感想をいただくことができた。毀誉褒貶多種多様ではあったが、こういう小説への感想を「面白かった」で終わらせない相手というのは、随分貴重だなぁと思う。
考えてみれば、アマチュアの文芸誌なんて作った人間と知人数人しか読んでくれないだろうし、それに率直な感想をぶつけてくれる人間なんてのは更に限られる。
文芸サークル、創作サークル、読書サークルみたいな空間というか場所は、考えてみると率直な意見感想を気軽に求められる理想郷なのかもしれない。「半分マルクスさん」がそういうサークルを高評価していたのも頷けること。
ネットで感想をいただく、という手の方が今は主流なのだろうけれど、やっぱり面と向かって言ってもらいたいところ。いや感想に限らず会議・話し合いの類はネットでやるのは怖くてできない。
顔が見えない上での会話って楽だけど恐ろしい(経験則)。
まず会話が恐ろしいのだけれど。
夕方にはチャップリンの『独裁者』上映会があった。
全編に込められた人道主義・自由主義的なメッセージもさることながら、ナパロニ国の首相(ムッソリーニもどき)も大好きです。ダチョウを奪い合うソーセージとパスタ。
就職した時、自分は機械じゃないと言いきれるだろうか……いやまず、就職できるのか?
知らぬ存ぜぬさようなら。
赤い小人の妨害
色々な人との別れの時期が迫ってきている。
あゝ嫌だ嫌だ。
それと少し前に引退したばかりなのにサークルでは死んだことになっているがどういうことか。
久しぶりに「レッド・ドワーフ」を観た。
観てしまった。
TOEICも近いというのに、イギリスのコメディドラマ「レッド・ドワーフ」を観た。
これも英語を勉強する為の修練の一つであり、避けて通れぬ行為なのだと思いたい。だから「宇宙船レッド・ドワーフ号」を観た。TOEICさん、smeg head(ウジ虫)という単語を覚えたのだから是非問題に出してくださいお願いします。
小学生の頃から親の趣味もあって見ていたドラマだったが、スターウォーズやトランスフォーマーに先んじてレッド・ドワーフでSFを楽しんでいたのは自分でも意味が分からない。
ただ脚本や舞台設定が面白いこと、テンポが良いこと、吹き替えが高レベルなことが相まって大ファンになってしまった。これとミスター・ビーンが私の幼少期のコメディ教養を深めてくれた……はず。
最新作も(全員が再登場するシーズンはドワーフっぽくなかったが)昔のような掛け合いとテンポにくわえて吹き替えまであったから大変嬉しゅうてならなかった。最終シーズンより、今回の最新シーズンの方が、初期のノリがあって好みかもしれぬ……
ただ、いよいよもって宇宙事業団というモノが分からなくなってきたが……ポンコツ船ドワーフ号を有しているだけでなく艦隊も持っているのはどういう……アナハイムじゃないんだから……
ほらもう忘れた。
もうTOEICの参考書で覚えた単語を忘れたぞ。
リマ―の小人が踊っているシーンしか覚えていないぞ!
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万札より酔人
明日雪ふるとか嘘でしょう、ちょいと困りますよ、おやっさん。
センター試験の国語がサブカルチャーを扱ったと小耳にはさんだ。できれば私の時代の時にお願いしたかった。戦前の文章ではなくて……
そういえば今日は確か、人文社会系学部の縮減・廃止に反対するデモがみなとみらいらへんで開かれていたはず。
参加はできなかったしどういう集団行動に相成ったのかは分からないけれども、「戦争反対」とか「増税反対」みたいな前々から見かけることの多々あった標語ではなく「人文社会系廃止反対」というのは新鮮だ。
同時に悲しい。
いかぬいかぬ酔いが回ってきた、好き放題ただただ綴る。
このグローバル化が叫ばれるご時世、役に立つ学問が求められるようで、実学思想の悪い部分だけ吸収したような政策が目立つようになってきた。
松永昌三さんの『福沢諭吉と中江兆民』(中公新書)によると、福沢諭吉はどちらかといえば実学を、中江兆民は教養学を重視していたが、明治維新期の富国強兵策のため(本人の真意は別として)国にとって利用しやすかったのは前者の実学思想だったという。
勿論二人とも人間なので、明治維新期の偉人・福沢諭吉や明治期デモクラシー思想者・中江兆民という紋切り型の分類などできるわけがないが、少なくともその方向性については随分逆向きではあるだろうし、後者に物凄く魅力を感じる。
結果諭吉さんは慶応義塾をたてて一万円札になる一方、兆民さんは色々と失敗して不遇の時代を迎えるとしても、やっぱり役に立たないものを学ぶことに心惹かれるなぁ……
こうも教養学系に肩入れするのは、自分が直接は役に立たない文章を扱うサークルに属しているからなのだろうて。
でも教養学も面白いし、学問で「役に立つ・立たない」を分けるのは急ぎすぎじゃなかろか。そう言う話が話題にあがって議論をせざるを得ないというのは悲しい。
象牙の塔にこもって人を見下すのが素晴らしいかと言えばそうでもないので、議論はあってもよかったけれど、結果が先行というのがね _(:3」∠)_
しかしフィンランドでもあちらの人文系の先生が、大学側は人文社会系縮小に抵抗しているとおっしゃってらしたし、国際的な流れなのだろう。
かなしかなし。