茶菓子の欠片

文芸とか北欧とかTF、雑記とか何かそういう

万札より酔人

 

 

 明日雪ふるとか嘘でしょう、ちょいと困りますよ、おやっさん。 

 センター試験の国語がサブカルチャーを扱ったと小耳にはさんだ。できれば私の時代の時にお願いしたかった。戦前の文章ではなくて……


 そういえば今日は確か、人文社会系学部の縮減・廃止に反対するデモがみなとみらいらへんで開かれていたはず。
 参加はできなかったしどういう集団行動に相成ったのかは分からないけれども、「戦争反対」とか「増税反対」みたいな前々から見かけることの多々あった標語ではなく「人文社会系廃止反対」というのは新鮮だ。
 同時に悲しい。


 いかぬいかぬ酔いが回ってきた、好き放題ただただ綴る。
 このグローバル化が叫ばれるご時世、役に立つ学問が求められるようで、実学思想の悪い部分だけ吸収したような政策が目立つようになってきた。

 松永昌三さんの『福沢諭吉中江兆民』(中公新書)によると、福沢諭吉はどちらかといえば実学を、中江兆民は教養学を重視していたが、明治維新期の富国強兵策のため(本人の真意は別として)国にとって利用しやすかったのは前者の実学思想だったという。 

福沢諭吉と中江兆民 (中公新書)

福沢諭吉と中江兆民 (中公新書)

 

 勿論二人とも人間なので、明治維新期の偉人・福沢諭吉や明治期デモクラシー思想者・中江兆民という紋切り型の分類などできるわけがないが、少なくともその方向性については随分逆向きではあるだろうし、後者に物凄く魅力を感じる。

 結果諭吉さんは慶応義塾をたてて一万円札になる一方、兆民さんは色々と失敗して不遇の時代を迎えるとしても、やっぱり役に立たないものを学ぶことに心惹かれるなぁ……


 こうも教養学系に肩入れするのは、自分が直接は役に立たない文章を扱うサークルに属しているからなのだろうて。
 でも教養学も面白いし、学問で「役に立つ・立たない」を分けるのは急ぎすぎじゃなかろか。そう言う話が話題にあがって議論をせざるを得ないというのは悲しい。

 象牙の塔にこもって人を見下すのが素晴らしいかと言えばそうでもないので、議論はあってもよかったけれど、結果が先行というのがね _(:3」∠)_

 

 しかしフィンランドでもあちらの人文系の先生が、大学側は人文社会系縮小に抵抗しているとおっしゃってらしたし、国際的な流れなのだろう。
 かなしかなし。